2010年3月17日水曜日

お宿

もし皆さんが小旅行に行くとしたら、お宿にはどんな事を求めたりするのでしょうか。私は今、料理とお宿を提供する施設(旅館とは少し趣が違う)の計画に取り掛かろうとしています。マーケット分析をしてみたら、あまり予算を掛けられないことが分かりましたので、計画は引き算をしながら純度の高い内容にしていかなければなりません。そのためには施設をどのように捉え、お客様に満足していただけるものは何かをしっかりと把握していく必要があります。そのことを模索するために、先ず言葉によるいろいろなスケッチから始めようと思っています。最初は徒然で日々変化をしていくであろう自由な言葉のスケッチからです。

私自身がお宿に望む事は現状を見渡す限り、どうしてもネガティブなことになってしまいます。後生だからこれだけはやめて!・・と言った具合に否定的なことですね。一般的なグレードの範囲で言うとそんなホテル、旅館の類が多いような気がします。そして私はあまり贅沢な事も望んだりしていないと思います。むしろ贅沢とは対象的に、旅そのものをお遍路さんのように一日中歩いて一刻々を噛み締めるようなものにしたいので、料理もそんなに贅沢でなくて良い。歩き疲れて宿に着き、時間を掛けてゆっくりと風呂に浸かり、その後ビールを楽しむ。食事は銀シャリに出汁の利いた味噌汁、それにお刺身の他にあと一品ほど何かあればそれで良い。お膳の数などは問題ではありません。それより暖かさと質が重要です。皿数が多いが冷めている。・・・などはとてもがっかりする。だから大衆ホテルのお決まりコースは御免蒙りたい。

随分前に千葉の鴨川市で日蓮上人の顕彰を目的としたお堂を設計監理した事がある。計画段階の打ち合わせの場所は近くの鏡忍寺という日蓮宗のお寺だった。そこで戴くお昼は密かに楽しみにしていた。仕出しのお弁当を注文しておいてくれるのですが、ご飯だけは鏡忍寺で炊いたものをよそってくれた。これが至上のご馳走だった。他の品は覚えていないが鏡忍寺のご飯だけは30年経った今でもはっきりと覚えている。恐らく私がお宿に求める食事は、この鏡忍寺のご飯のようなものだと思う。

お宿の普請はどうだろう。茶の千利休は客人へのもてなしに絢爛とは対極的な世界を用意した。私は建築を創る立場に身をおいているので、お宿の空間に関する注文をすればきりがありませんが、ひとつだけ私の注文が赦されるならば、それはルール違反をやめてほしいという事になる。ルール違反とは言い替えれば「秩序がない」ということになります。秩序を無視することを犯しさえしなければ、建築はそれなりに凛としたものになるだろうと考えています。しかしほとんどの施設に凛としたものを私は感じることができない。普請に秩序さえあればどのような文化人でもおもてなしすることができる。私はそう考えている。だから今、計画をしているお宿には予算上の制約がありますが、それでも最低限、凛としたものをお客様に感じていただける普請にしようと思っている。

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