2021年9月24日金曜日

渋谷の時代

 若い頃、仕事に従事していたのはほとんど渋谷である

正確には青山学院があるあたりで渋谷と表参道の間にあるエリアに20歳過ぎから40歳過ぎまでの20年ほどの時間をその辺りで過ごした。

最近よく思い出すのは建築事務所時代に食べた渋谷周辺で過ごした食事風景のことである。建築事務所の平日は先ず夕ご飯をウチで食べることはなかった。ウチで食べられるのは休みの日ぐらいである。いろいろなお店に行って食事時間を過ごした。過ごしたと言っても完全にリラックスした時間ではない。仕事の途中でのひと時だ。

カプリチョーザ創業者の本多さんのことは以前にどこかで書いた。それほど親しい訳ではなかったが道端で会った時にはお互いに笑顔で挨拶していた。どれほどの数のスパゲティをそこでいただいただろうか。キャンディーズのスウちゃんが隣のテーブルに座ったのも良い思い出だ。

次に思い出すのは渋谷2丁目の鳥よしというお店の女将さんだ。専門は焼き鳥屋さんだが夜にそのお店に行った記憶がはっきりと思い出せない。昼間の営業で旦那さんと二人で2品だけのメニューで昼ご飯を用意してくれていた。一つはマグロの鎌の辺りの骨付きを生姜を効かせたトロトロになるまで煮付けたものだ、2つめは鳥ササミの天ぷらだ それがレタスと玉ねぎの盛り合わせと一緒に出てくる それらの上に大量の和がらしに少量のウスターソースを混ぜた濃厚に辛いソースがかけられている。油断すると食べた瞬間に噎せてしまう。それが刺激的で旨かった。印象的なのは庶民的で優しいそうな女将さんがこちらのテーブルにご飯を運ぶ時や、おかずの一品のお皿を置く時に大事そうに両手で移してくれる時の所作だ。それらがとても印象的だった。備え付けの梅干しも女将さんの気心を汲み取るに十分な味がしたし、女将さんの白い頭巾が見ていて気持ちよかった。

3つ目は渋谷駅前東急映画館近くにあった、ちょうど渋谷警察署前の246号線(この辺りから皇居までを青山通りと呼ぶ)を挟んだ向かい側の一角にあるビル地下にあったトンカツ屋さんのオヤジさんだ。当時で、もう相当なお歳だったように見受けられた。トンカツそのものはそんなにとびきりというほどではなかったが何故か今でも思い出す。オヤジさんがこちらのキャベツのおかわりをいつも笑顔で応じてくれて優しいそうで、独身の若者の野菜不足をわかっていてくれているような笑顔が今でも印象に残る。




2021年9月3日金曜日

ハイボール

ハイボールを飲みながらふっと外を見た

夏の終わりの綺麗な夕焼けが出ていた