2020年9月25日金曜日

不公平感

 動物には不公平感があるかという実験がある (youtubeで見られる)  結論はある。

実験は猿(キツネザルのように尻尾が長いのでチンパンジーよりもっと遺伝子距離が遠い)を用いて行われる。2匹の猿が檻の中にいる。真ん中がフェンスで仕切られていてそれぞれに1匹ずつ入っている。フェンスなので猿にはお互いの様子がよくわかる。

試験員が片方の猿の檻に小石を投げ込む 猿はそれを拾って試験員に戻す 試験員は褒美として一口大のキュウリをあげる 猿は嬉しそうにそれを食べる。試験員はもう片方の猿にも同様のことをする しかし褒美はキュウリではなく大きなブドウだ。キュウリをもらった猿は隣の檻の様子を見て立ちすくんでいる おそらく頭の中は???になっている。

次にキュウリの猿にもう一度小石を投げ込む 猿は嬉々として小石を拾いに行き急いで試験員に戻す。試験員は前と同じようにキュウリを渡す。猿はもらった手の平のキュウリを一瞬見ていたが突然怒り出し、そのキュウリを試験員に向かって投げ返してしまった。

同じことを交互に何度も繰り返す。キュウリの猿はやがて怒りを抑えきれないようになり、その度に試験員にキュウリを投げつけ終いには床や壁を叩いたり、頭を抱えたり、檻を掴んで激しくゆすったりするようになる。それはちょうど人が交渉時に理解できない相手に向かって「何故わかってくれないんだッ」と言ってテーブルを叩いている仕草のようで見ていて笑ってしまう。

人間の子供がまだヨチヨチ歩きの頃、おもちゃか何かで不公平感を覚えて駄々をこねる。不公平感は実験でもわかるように意識の問題ではなく本能だ。それはまだ価値観も芽生えていないヨチヨチ歩きの子供にも現れる。最初は食料に由来し派生した不公平感は人間になるといろんな価値観(意識)が生まれ、本能である不公平感とブレンドされその対象は広がる。人間の場合は不公平感だけでなく、それとは反対の優越感を持ったり或いは持たれたりする。 優越感は意識の問題である ブドウをもらった猿は得意そうな様子は見せないで隣を気にすることもなくただ淡々と食べている。

キリストや釈迦が不公平感は妬みを生み出し、欲望が人に幸福をもたらすことはないと説いている。本能に抗うのは大変そうであるが、人間がキュウリの猿のように本能をむき出しにするのもまたいただけない話だ。

2020年9月18日金曜日

意識と本能

 人の意識というのは自分で知覚している心象のことだと言って良いだろう。

しかし、意識している部分は氷山のように全体像の一角であって、ぼんやりとした無意識の部分がかなりを占めていると言う。それらの部分ははっきりと知覚されていない。

例えば前方からこちらに向かって誰かが突進してきたら我々は咄嗟に避けてしまう。この反応は完全に意識的な行動だ。次に食事をトレーで運ぶ時バランスを崩しそうになり、一瞬で体がリカバリー反応して零さずに済む これは意識と反射神経の連携プレーだろう。その次に虫が目にいきなり飛び込んできた、瞬きをする これは無意識での反射神経行動になるだろう。網膜→どこか→運動神経→瞬きという流れだ。

また速読法というのがある。私個人は苦手でやらないが、おそらく速読法というのは知覚しながら読んでいる氷山の一角の部分とぼんやりとした意識の中で読み進めている水中の氷山の部分とが一つの氷山の中で交互にやり取りをしているのではないだろうか。

また人間関係、特に思春期の男女の意識は複雑である。知覚している部分と水中に沈んでいる部分とを相互調整することがうまくいかないので本人にとっても不具合なことが起きたりする。また何かの苦痛体験が心理的な抑圧となり、意識の奥の方へ仕舞い込まれたりする場合もある。

意識というのは個人的なものである。育った環境、経験、価値観などにより、個々の意識が育てられる。意識は脳内現象と思えるが、先ほどの反射神経は脳より先に何かが指令を出していると言えそうだ。そうだとしてその指令は体内のどこから出されているのか。我々はそれを知覚することができない。

人間は多細胞生物である。単細胞生物から多細胞生物へと段々と組み換えられて行く過程で脳がなくても独自に指令し行動できる遺伝子プログラムが体内の各部にインストールされているのだろう。前の投稿でカタツムリと寄生虫のことを書いた。2つの独立した生物が寄生することで合体し、やがて一つの生物に進化(多細胞化)するとそれぞれのオリジナルの遺伝子とシステムは残るだろう。イワシの遺伝子の中には群れを為すようにプログラムされている。種を守る群れ行動は魚類から動物になってもその遺伝子が残っているかのように。

遺伝子と言えば本能を連想する。動物の子育て 群れ行動、捕食関係、ボス争い、グルーミング、伴侶を確保するための儀式などは遺伝子の中で受け継がれている。動物は教わらなくてもその時がくればスイッチが入る これが本能だろう。

それでは人間の本能は体のどこにあるのだろう。意識と本能とはどこが違うか。個人的な仮説になるが、意識も無意識も脳内現象である。一方の本能は細胞ユニットの数だけ体のありこちに宿る。そしてそれらを束ねてコントロールする場所が脳内のどこかにある。反射神経もこの系統の中に存在する。 

その束ねる場所は動物にももちろんある というより生物的には動物の方が我々の先輩にあたる。 例えばその場所とは人間でいうと小脳になる。小脳は動物時代から受け継いだものだろう。そして人間になってから大脳が大きく発達して意識を持てるようになった。

別の角度から言うと体の各部と小脳との間に意識があると邪魔になる 瞬きすることを意識が躊躇すると異物によって目は傷ついてしまう。目などの反射神経では小脳との距離が重要になる。数センチの距離だから瞬きが間に合う 例えば50cmも離れていたら虫が目に入ってから瞬きをすることになるだろう。





2020年9月14日月曜日

宇宙の不思議

138億年前に我々の宇宙はビックバンと共に誕生した。太陽系のことではない、天の川銀河系のことでもない、それら系が付く名前のものは宇宙の極一部の星群に過ぎない。銀河系は太陽系の約33万倍の大きさで、その銀河系の約93万倍が現時点での宇宙全体の大きさになるだろうと言われている。そのようなスケールでの宇宙の誕生のことだ。

ビックバンが起きて以来、宇宙は膨張し続けている。その膨張速度はだいたい光の速さに相当すると言われている。実際に宇宙の端から端までの位置を測定するとその膨張速度は光の速度より速いと言われているが光の速度を超えるものは現在の学問では考慮しないことになっている。アインシュタインの相対性理論はこの宇宙範囲内の物理法則のことだからそれを超えるものについては人知を超えるので今のところわからないのである。

その宇宙の膨張を俯瞰して見ると形としてシャンパングラスのようなシルエットになっていると言う。ビックバンで一瞬爆発した部分がグラスのベース部分でその次に収縮が起きてネックとなり、やがてシャンパンを注ぐ部分が光の速度で広がり始める。それが宇宙の膨張シルエットであるとイメージすると良い。

もっと大きな目で俯瞰して見るとそのシャンパングラスは幾つ存在するのか。それは今のところはわかっていない。例えば一つのシャンパングラスを海に浮かんでいるクラゲに例えるとクラゲ1匹が全宇宙なのか、そうではなくて周りの海には何匹ものクラゲが浮遊しているのかどうかもまだわかっていない。もし複数のクラゲが浮遊していたとしても隣同士のクラゲの間で行き来するのは不可能であるとされている。

我々人類以外の知的生命体の存在はクラゲ1匹の中でさえわかっていないのである。気が遠くなるような昔のどこかで既に超未来的な文明が存在していた可能性もある。それは違うクラゲの中のことかもしれない。しかし地球上の化石のようにその痕跡は残らない。宇宙の終焉の形もまだわかっていない。

地球に関係することで今わかっていることは50億年後には太陽が消滅するということだ。当然その前のどこかで地球は生き物が住める環境を失うことになる。スティーブ・ホーキング博士は太陽の寿命とは関係なく、人類が生存できる環境はあと1000年しかないと言っていたが最終的にはそれを100年に修正した。

ただ人類だけはその間にAIの開発と新しい物理法則を見つけることにより地球を捨てて他の銀河系に移住することが可能かもしれない。

2020年9月13日日曜日

AIは守護神となりえるか

 もしAIに次のようにプログラムしたとする。

「何が起きてもAIは人間を守る行動が全てにおいて第一優先である」

するとAIが取るべき最後の砦は人間がコンピュータの電源をシャットダウンしないようにすることだと言う。何故か それはAI自身が人間だけの判断に委ねられたりする状況においては、将来のある時点で人類は必ず大きな戦争を起こしたり、愚かな行動を起こしたり、過ちを犯したりすることがわかっているからだ。

もう片方の問題もある。それは機械が人間をコントロールする危険性だ。しかし、それは言い換えると悪意を持った人間が作成したプログラムを持つAIが人間をコントロールするという事態だ。

それではどうやってそのような事態を防ぐことができるのだろうか。おそらくそれはAI開発に対して顔を背けないことなのだろう。人類にとって有益な正しいプログラムを如何にしてAIの中で育て上げることができるかそれが鍵となるだろう。

雨後の筍のように次から次に出てくるであろう悪意を持ったAIの出現が予想される中では人々は守護神となるAIの味方なしでは安心して生きて行くことができない。AIがまだ出現していない現在でさえも、その悪意のリスクは少しずつ始まっているのじゃないかと思うことがある。


2020年9月7日月曜日

2020年9月1日火曜日