2020年10月31日土曜日

Those Were the Days = あの頃はよかった

1968年にリリースされた英国女性シンガー(メリー・ホプキン)の曲で日本でのタイトルは「悲しき天使」だった 透き通った声が深夜のラジオから聞こえてきた頃はまだ10代だった
意味もわからずに聞いていた 曲名とその歌声から恋をしている乙女心を唄っているか或いは失恋の唄だと勝手に想像していた
ひょんなことから耳に入り改めて調べてみるとオリジナルはロシア民謡(兵士の唄)のようだ。下のネットページに寄せられたこの曲に纏わる思い出投稿を読んでみるとリトアニアで小さい頃、皆が集まった時の行事で良く唄っていたとあるのでその辺りの民謡なのだろう 他にもその当時を懐かしむいろいろな思い出が寄せられている
 

私なりにこの曲の歌詞の意味を訳してみた(そのまま日本語歌詞としては唄えない)メリーは soldierの部分をwomanと唄っているがそれでは無理矢理感がある 元々兵士の視点を女性の視点に置き換えてしまっている おそらく商業ベース上で歌詞を乙女チックに仕立てたかったのだろうが、それでは全体としてピンとこない。

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Once upon a time there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours
Think of all the great things we would do

Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way
La ra ra ra la la

遠い昔に一軒の酒場があった
そこで我らは良くグラスを掲げては飲み干した
笑い飛ばしながらそこで過ごした時の様子や
思い描き語り合った大きな夢など覚えているかい

あの頃は本当によかったな 友よ 
あの楽しかった時が終わるなんて想像できなかったよ
歌って踊っている時は永遠に続くものと思っていたさ
自分で選んだ道を生きていた日々も
負け知らずで戦ったことも
若さ故と自分たちの歩む道を確かなものにするためだった

 
Then the busy years went rushing by us
We lost our starry notions on the way
If by chance I'd see you in the tavern
We'd smile at one another and we'd say

Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days
Oh, yes, those were the days
 
La ra ra ra la la...

多忙な時間に追われて時は過ぎて行った
輝いていた思いは過ぎた時間の中で次第に失われていく
もしあの酒場でまた君に会える機会があったなら
お互いに微笑み合ってこう語り合うだろう


あの頃は本当によかったな 友よ
あの楽しかった時が終わるなんて想像できなかったよ
歌って踊っている時は永遠に続くものと思っていたさ
自分で選んだ道を生きていた日々も
負け知らずで戦ったことも
全てがよかった そう 本当に良い時代だった

 
Just tonight I stood before the tavern
Nothing seemed the way it used to be
In the glass I saw a strange reflection
Was that lonely soldier really me?

Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days
Oh, yes, those were the days
 
La ra ra ra la la...

それで今夜 再びあの酒場の前まで来て見た
中でのいつもの様子が伺えるものなどは何もなかった
グラスに映るものもこれまでとは違っていた
自分はただ孤独な兵士に過ぎなかったのだろうか

あの頃は本当によかったな 友よ
あの楽しかった時が終わるなんて想像できなかったよ
歌って踊っている時は永遠に続くものと思っていたさ
自分で選んだ道を生きていた日々も
負け知らずで戦ったことも
全てがよかった そう 本当に良い時代だった

 
Through the door there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh, my friend, we're older but no wiser
For in our hearts the dreams are still the same...

Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days
Oh, yes, those were the days
 
La ra ra ra la la...

ドアを通して中からお馴染みの懐かしい笑い声が聞こえて来た
君の顔が見え、君が私を呼ぶ声も聞こえた
oh 私の友よ お互いに歳をとったね でもあの頃と変わっちゃいない
お互いの胸の内にはあの頃の夢がまだそのまま残っているんだね

あの頃は本当によかったな 友よ
あの楽しかった時が終わるなんて想像できなかったよ
歌って踊っている時は永遠に続くものと思っていたさ
自分で選んだ道を生きていた日々も
負け知らずで戦ったことも
全てがよかった そう 本当に良い時代だった
 

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投稿の一つにこういうのがあった
A Russian song amidst the most anti-Russian years ever. I wonder what people would have thought if they knew that at the time.
ロシアの歌は世界がかってないほどの反ロシアの只中にあった時だ もし当時、世界がこの歌を知っていたら人々はどのように考えたのだろうかと思う・・とある

その通りかもしれない ちょうど日本が日露戦争の時に一方では陸軍海軍一体となって戦火を交えている時にもう片方では新渡戸稲造が「武士道」を本にして世界の主要に広めた。当時世界では誰も知らない日本が欧米の騎士道に勝るとも劣らない武士道の精神を持った意識の高い民族だということを奔走し知らしめ、戦争の早期終結に努めたように民族への印象が人々の片隅にでも残ればそれはやがて変化の種になり得る。

2020年10月25日日曜日

2020年10月17日土曜日

パトリシア

The wolf of wall streetの著者は叔母に銀行口座のことを頼んだ。これから彼女が消費する全ての買い物はこの口座を利用すること 家でも車でもなんでも欲しいものをこの口座を利用し買い物をすることで口座が叔母の名前で活用されているものにすること そして毎月多額の金額を上限なしに消費することが要件だった。舞台はロンドン・ハイドパーク公園を歩いている時にその頼みごとを聞いた後のパトリシア叔母の反応である。(著者は最終的に実刑を食らっているが、この資金洗浄目的の口座が刑罰対象に含まれているかどうかはこれから先に本を読み進めていかないとわからない)

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Just then Patricia said, “Come sit down with me, love,” and she led me toward a small wooden bench, just off the walking path. When we reached the bench we unhooked arms and Patricia sat down beside me. “I love you like a son, Jordan, and I am only doing this because it helps you—not because of the money. One thing you’ll find as you grow older is that, sometimes, money can be more trouble than it’s worth.” She shrugged. “Don’t get me wrong, love, I’m not some silly old fool who’s lost her marbles and lives in a dream world where money doesn’t matter. I’m well aware that money matters. I grew up digging myself out of the rubble of World War Two, and I know what it’s like to wonder where your next meal is coming from. Back in those days we weren’t sure of anything. Half of London had been blown to smithereens by the Nazis, and our future was uncertain. But we had hope, and a sense of commitment to rebuilding our country. That was when I met Teddy. He was in the Royal Air Force then, a test pilot, actually. He was really quite dashing. He was one of the first people to fly the Harrier jet. Its nickname was the Flying Bedstand.” She smiled sadly.

ここで私と一緒に腰掛けましょうlove(私の息子という意味でそう呼ぶ)その時パトリシアはそう言って小道から少し離れた木製の小さなベンチに私を導いた。ベンチに辿り着いた時、互いに組んでいる腕を解いて私とパトリシアは隣り合って腰をおろした。あなたを自分の息子のように愛しているわジョーダン とパトリシアは私に言った。あなたを助けるためにやるわ でもそれはお金のためじゃないのよ。あなたが歳を重ねた時にわかってもらえることがひとつあると思うの、それはお金は時々その価値を超えてそれ自体のためにトラブルを引き起こすことだってあるということよ と言って彼女は肩をすくめた。誤解しないように聞いて欲しいんだけど love、私は夢のような世界の中で正気を失って人生を台無しにするようなバカな年寄りじゃないわ そこではお金は問題になんかならないの、もちろんお金の価値だって十分承知しているつもりよ。私は第二次世界大戦の瓦礫の中から抜け出してやっとの思いで生き延びてきたわ 次の食事は一体どこで?という経験もしている。その当時は確かなものなどひとつもなかった ロンドンの半分はナチスの爆撃による瓦礫の山となったわ 私たちの未来なんかどうなるかわからなかったけど希望と国の再興への精神は失わなかった。(夫だった)テディと出会ったのもそんな時よ。彼は空軍のテストパイロットで颯爽としていたわ。彼は最初のHarrier jetに乗った一人でニックネームはFlying Bedstandと呼ばれていたわ と寂しそうに笑った。

Patricia soldiered on: “Sometimes I wonder if you let money get the best of you, love. I know you use money to control people, and there’s nothing wrong with that. That’s the way of the world, and it doesn’t make you a bad soul to try to work things in your favor. But I’m concerned that you allow money to control you—which is not all right. Money is the tool, my child, not the mason; it can help you make acquaintances but not true friends; and it might buy you a life of leisure but not a life of peace. Of course, you know I’m not judging you. That’s the last thing I’d do. None of us is perfect, and each of us is driven by our own demons. God knows I have my share.

パトリシアは続けた。時々思うことがあるわ、あなたは自分のお金をあなたに本当に必要なものを得るために使っているのかしらと。人はお金の力で人々をコントロールすることだってできるわ、そのこと自体は悪いことではないわ。それは世界の常識でもあるしね。それに好きな道を選んでそのことに努力することはあなたにとって悪いことじゃないわ。でも私はそのお金の力が今度はあなた自身をコントロールしかねないことを心配しているの。もしそうだったとしたらそれは良くないことよ。お金は道具、石ころじゃない その道具は仲間を作るためには役立つかもしれないけど、その仲間は本当の友人ではないわ。それにお金は人生を楽しむためのレジャーは買えるかもしれないけど平和な静寂は買えないわ。もちろんあなたの品定めをしている訳じゃないわ。今度のことが私がやれる最後のことかもしれない。誰しも完璧な人間ではないわ 人はそれぞれその人が持つ悪魔の部分から操られているところがある。神は私の分相応を知っているわ。

“Anyway, getting back to this whole caper you’ve cooked up—I want you to know that I’m all for it! I find the whole thing rather exciting, in fact. I feel like a character in an Ian Fleming novel. It’s really quite racy, this whole overseas-banking business. And when you get to my age, a little bit of raciness is what keeps you young, isn’t it?”

とにかく、あなたがこれまで仕立ててきた(ビジネスという名の)料理の薬味のところに戻りましょう。あなたのために引き受けるつもりよ。全体像も見えてきたし興味も湧いてきたわ。Ian Flemingの小説の中のキャラクターになったような気分だわ。外国の銀行でのビジネスも痛快だわ。それにあなたも私くらいの歳になったら少しくらいの痛快さを味わう気分でいる方が若さを保つ秘訣だと思うわよね?

Ian Fleming = 007ジェームス・ボンド シリーズの作者

Flying Bedstand(初期のHarrier jet)= ヘリコプターのように空中で静止できる飛行機で足が4本あるのでナイトテーブルのような形に見えたのだろう。シュワちゃんの映画で高層ビル群の目前に戦闘機がハチドリのように静止した状態でその機上で格闘するシーンがある あれがHarrier jetだ。

2020年10月15日木曜日

オアシス

都会の喧騒から切り取られたオアシスのようであるという訳が文中にもあるが、The  wolf of wall street この本の中にまさにオアシスような文章があったので紹介する。この本は前にも触れたようにストーリー自体も使われている語彙も喧騒そのものである。

紹介する物語の舞台はジュネーブにある銀行での交渉を中断して、妻の叔母さんにあたる人に頼みごとがあって急遽、ジュネーブから叔母さんが住んでいるロンドンへ飛び立つ。ロンドンでのパトリシア叔母さんとのひとときである。

(交渉内容そのものが平たく言えば違法である。資金洗浄のための口座をFBIの監視から掻い潜るための交渉をしているのである。そこで叔母さんの名前を借りることを思いついた。)

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 “So, love,” said Aunt Patricia, strolling arm in arm with me along a narrow tree-lined path in London’s Hyde Park, “when shall we get started on this wonderful adventure of ours?”

とても楽しみね! ロンドン・ハイドパークの木立が並ぶ小道で、これからこの公園でワクワクするような冒険を始めようかと私が言った時、互いに組んだ腕を振りながらパトリシア叔母さんは私にそう言った。

I smiled warmly at Patricia, then took a deep breath and relished the cool British air, which at this particular moment was thicker than a bowl of split-pea soup. To my eyes, Hyde Park was very much like New York City’s Central Park, insofar as it being a tiny slice of heaven encircled by a burgeoning metropolis. I felt right at home here. Even with the fog, by ten a.m. the sun was high enough in the sky to bring the entire landscape into high relief—turning five hundred acres of lush fields and towering trees and well-trimmed bushes and immaculately groomed horse trails into a vision so picturesque it was worthy of a postcard. The park was favored with just the appropriate number of sinuous concrete walking paths, which were all freshly paved and hadn’t a speck of litter on them. Patricia and I were walking on one of them at this very moment.

私はパトリシアを見つめて優しく微笑んだ。それから大きく深呼吸をし、ロンドンの冷たい空気を堪能した。その空気はボールの器に入った豆のスープより濃かった。ハイドパークは私の目にはNYセントラル・パークに似て映った。家にいるような気分にさせてくれる。霧が立ち込めてはいるが、もう朝の10時である。太陽は充分に高く、周囲の都市景観を映し出していて気分を楽しませてくれる。100エーカに及ぶ緑地が広がり、聳える木々、剪定された低木、それに完璧なほど手入れされた馬が歩いている様子はまるで絵葉書を見ているようだった。この公園には何本かの曲がりくねったコンクリートの小道があるのが人々に好まれている。小道は新しく舗装されていてゴミやシミ一つない。パトリシアと私はそのうちの1本の小道を選びこの瞬間を歩いていた。

For her part, Patricia looked beautiful. But it wasn’t the sort of beauty you see in a sixty-five-year-old woman in Town & Country magazine, the supposed barometer of what it means to age gracefully. Patricia was infinitely more beautiful than that. What she had was an inner beauty, a certain heavenly warmth that radiated from every pore of her body and resonated with every word that escaped her lips. It was the beauty of perfectly still water, the beauty of cool mountain air, and the beauty of a forgiving heart. Physically, though, she was entirely average. She was a bit shorter than I and on the slender side. She had shoulder-length reddish-brown hair, light blue eyes, and fair white cheeks, which bore the expected wrinkles of a woman who’d spent the greater part of her adolescence hiding in a bomb shelter beneath her tiny flat, to avoid the Nazi Blitz. She had a tiny gap between her two front teeth that revealed itself whenever she smiled, which was often—especially when the two of us were together. This morning she wore a long plaid skirt, a cream-colored blouse with gold-colored buttons running down the front, and a plaid jacket that matched her skirt perfectly. Nothing looked expensive, but it all looked dignified.

彼女の詳細について少し述べる。パトリシアは美しい女性だ。でもそれはあなたが見ているタウン&カントリー誌に出てくる65才になる女性の美しさとは違う。彼女の美しさは歳を重ねて表れる優雅さを彷彿させるものだ。パトリシアのそれは、そのような雑誌を見て想像する美しさを凌駕する美しさであり、彼女の内なる美しさというべきものだ。自分が天国にいるような心地良さを感じさせてくれるものが彼女の体のあらゆる汗腺から滲み出してくる。そして彼女の口から滑り出てくるひとつ一つの言葉に共感してしまう。それはちょうどさざ波ひとつない完璧な水面に映る美しさであり、山岳の清涼な空気の美しさであり、寛容な気持ちを持つ者の美しさである。しかし彼女の容姿は普通の女性である。私より少し背は低く私より少し痩せ気味だ。彼女の髪は赤みがかった茶色で肩までかかっていて、青みがかった目をし、頬がすごく白い。その白い頬には彼女の素晴らしい青春時代であったはずの時代にナチによる爆弾投下から身を守るためにフラット(集合住宅の住戸)の下にある小さな防空壕に身を潜めて過ごしていた苦悩がその皺に見てとれる。

彼女の前歯の2本には小さな隙間があり、私たちの会話の中で彼女が笑うたびにそれが表れる。今朝の彼女の召しものは格子縞のスカートにクリーム色のブラウスのフロントには金色のボタンが並んでいる。そして格子縞のジャケットがスカートの模様に良く似合っている。それらの洋服は決して高価には見えないが全てにおいて高貴さを感じとれるものだった。

2020年10月13日火曜日

轍 ユダヤ人とドイツ人

The wolf of wall streetについて前投稿で少し触れた。内容が段々と本テーマに入ってきたようで少し興味を持って読めるようになったきた。相変わらず独特なN.Yブルックリンのネイティブ表現でわかりにくいところが多々ある。NY育ちユダヤ人である著者が、マネーロンダリングのためにスイス・ジュネーブにある銀行で口座を開くための交渉に当地を訪れた。そこでの著者の記述を紹介する。ユダヤ人のドイツ人に対する憎しみが伝わる。

Anyway, you had to love the Swiss—despite the fact that half the country was full of Frogs and the other half was full of Krauts. It was the end result of centuries of warfare and political backstabbing; the country had literally been divided in two, with the city of Geneva being  Central, where they spoke French, and the city of Zurich being Kraut Central, where they spoke German. 

何はともあれ スイスという国の半分はフランスであり、後の半分はドイツであるという事実にも拘らず、スイスという一つの国を好きなのかもしれない。スイスは1世紀にも及ぶ長い戦争や政治的な謀略などで結果的にそのような国の形になってしまったのだ。スイスは文字通り2つ(の文化圏)に分けられている 一つはジュネーブを中心とするフランス人によるエリア、もう片方はチューリッヒを中心とするドイツ人によるエリアだ。そこでは言葉もそれぞれフランス語とドイツ語が用いられている。

Frogs=カエル=それを食べるフランス人

Krauts=ザワークラウト=キャベツの漬物を食べるドイツ人

Insofar as my own humble Jewish opinion went, the Geneva-based Frogs were the ones to do business with—as opposed to the Zurich-based Krauts, who passed their time speaking disgusting glottal German while binge-drinking piss-warm beer and eating Wiener schnitzel until their stomachs bulged out like female kangaroos after a birthing cycle. And, besides, it didn’t take any great leap of logic to realize that there had to be a few Nazi bastards still hiding out among the populace, living off the gold fillings they’d forcibly extracted from my ancestors before they gassed them to death!

これまでのところ、スイスという国について謙虚なユダヤ人としての個人的な意見を述べさせてもらえれば、フランス人を主体とするジュネーブはビジネスの街と言えよう、それとは反対にドイツ人を主体とするチューリッヒでは耳障りな破裂音が響くドイツ語で喋り捲り、彼らの腹が繁殖期を終えた雌カンガルーのように膨らむまで生ぬるいビールをがぶ飲みし、ウィナーシュニッツェル(牛カツレツ)を食って時間を過ごしているところだ。

それにドイツエリアの民衆の中では少数のあのくそ忌々しいナチの残党がまだ隠れ潜んでいるんじゃないかという疑念を払拭してくれるような議論が聞こえてこない。それに奴らは昔、我々ユダヤ人の祖先が生きていくために施した彼らの歯に詰めたゴールドなどを強制的に奪い取った後でガス室に送り込んで殺してしまった民族でもあるのだ。

piss-warm beer = 小便のように生ぬるいビール

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そして 皮肉っぽいスラング表現でこのようなものもある。舞台はジュネーブにある銀行の会議室でのこと。銀行での交渉を仲介したGary Kaminskyという男のことについて書いている。

And then there was Kaminsky. He was sitting amid the Frogs with that awful toupee lying on his skull like a dead animal. On his fat round face was a shit-eating grin that made me want to smack him. 

そこ(会議室)にはKaminskyがいた。彼はフランス人に囲まれて座っている 彼がつけているカツラは動物の死骸が頭のてっぺんに横たわっているように見えておぞましい。彼の太った丸顔がドヤ顔でニヤニヤしているのを見ていると、つい彼の頬っぺたにキスをしてやりたくなった

shit-eating grin=直訳するとクソを食ってニヤニヤしている=ドヤ顔

(補足)ドイツ帝国時代にナチスによるユダヤ人への取り締まりの時に逃れられる者は財産を持ち出し外国へ脱出できたが逃れられない者はせめて財産だけでもとスイスの銀行へ預けたという。そういう人たちが全て殺された後、残った孤児たちが親からの伝言でスイス銀行へ預けた金をおろしに行ったがアカウント証明ができない遺族が多く、その金が未だに大量に残っているという。

2020年10月6日火曜日

金融

 The Wolf of Wall Streetという本を読んでいる。レオナルド・デカプリオ主演で2013年頃に映画化された原作だ。実話を元にした小説で500ページを超える長編だ。現在1/4位を読み進めた途中だがこれまでのところは全然面白くなくこの本を買ったことを後悔している。文章のほとんどがスラングであり、読みにくく金の力、悪態、狂気、麻薬、売春などの退廃的な語彙で構成されている。ウォール街で働くビジネスマンについてはもっとスマートなイメージを持っていたが、それがある種の連中の吹き溜まりという印象に変わった。しかし折角買った本だから最後まで読んでみようと思っている。

これから先は本のことではなくリアルな話になる。最近の米国のFRBや日銀などの中央銀行による金融政策を見ていて個人的に不安を覚えている。それは実体経済を大きくかけ離れた金融バブルが進んでいることだ。これまで日本が経験したバブルは民間企業や不動産、金融機関を中心として発生したものだが、今回の金融バブルはそれとは違う。危険な金融商品を大量に抱えた金融機関が多く存在する。その危険な火薬を破裂させないために各国中央銀行が金融緩和(紙幣の増刷)を発動し火薬への引火を必死になって阻止しようとして起きているものだ。

10年ほど前にリーマンショックというのがあった。サブプライムローンという危ない因子を証券化したデリバティブ商品が大量に出回った。その危ない因子はほとんどの商品に忍び隠されていて一旦弾けるとどこまで影響を及ぼすのか計り知れないものだった。そのショックのせいで関係のない一般の人々の生活基盤にまで影響が及ぶ大きな不況をもたらした。そして国は痛手を負った金融機関の救済に莫大な公金を使った。この公金は税金であり、言い換えると銀行など金融機関の危ない投資リスクのツケを国民が肩代わりしたというものだった。そしてその時に金融機関も国民も二度とこのようなことが起きないようにしようと言ったはずだった。

それが再び起きようとしている。それも大規模に。日本だけではない世界の金融機関が危ないデリバティブ証券を大量に保有している。日本では銀行、信用金庫、ゆうちょ、農林中金などほとんどの金融機関が大量に保有しているという。中には資本金の何倍もの額を保有しているところもあるという。発生源はどこになるかわからないがこれらが弾けるとドミノになっているので世界中が弾けてしまう。世界の中央銀行はこれを弾けさせないために大量の紙幣を刷り続けこれに充てている。この金余りは何れ超インフレを引き起こすだろう。(穿った見方するとそれが狙いかもしれない→貨幣価値が下がると借金が棒引きになる)

現在、新型コロナの影響も加わり経済不況にも拘らず株高なのはこういうわけだ。不自然極まりない。こんなことはこれまでにはなかったことだ。これまでの経済は危ない因子の爆弾があればその都度自然破裂していた。公金を使いそれらを破裂させずに火薬庫に次から次に仕舞い込んでいる状態が現在である。しかしどこかの企業または国で火薬に引火して一旦爆発すると大量の公金が溶けるだけでなく、金融機関の倒産が連鎖する。

一部の専門家はこのバブルは何れ弾けると見ている。こんな不自然なことが長く続くはずがないと私も思う。もし破裂が起きるとリーマンショックや1920年に起きた大恐慌を遥かに凌ぐだろうと言われている。おそらく各国の中央銀行は破裂するまで金融緩和を続けるだろう。これから3年後くらいまでにハイパーインフレの兆候が出てくるかもしれないので少なくともローンなどを組んでいる人は国債などこれからの金利の動きには注意した方が良いかもしれない。

それでは何故に金融機関はまたしても危ない金融商品に手を出したのか、これは日銀によるマイナス金利政策またはそれに近い政策のせいだと考えている。金融機関は利子で商売しているので金利が低いと社員を養えない。多少リスクを負っても危ない商品に手を出してしまう。言い換えると日銀の政策が金融機関を窮地に追い込んだと言ってもいい。その金融機関の救済に日銀自身が国家を揺るがしかねない危ない橋を渡っている。日銀は一体何をやっているのか。