2023年7月29日土曜日

下山 太郎兵衛平から折立へ 5日目

最終日の下山は初日と同じコースとなる
初日でのこの辺りは荒れ模様の天気だった

その時は時折風速20m/sが吹き横殴りの雨 気温の低下 体調不良 すごく寒い
下っ腹の調子がよろしくない 気圧によるものか 昨夜のビールによるものか
とにかく踏ん張りが効かない 困ったがなんとか山小屋に着くことができた

下山時は登山道の左側長野県側の下界に雲海が広がる 遠くに八ヶ岳が見えた

太郎平小屋を出発してしばらくして振り返るともう小屋は見えなくなっていた

登山道右側には遠く剱岳が見えている
25年ほど前に登ろうと剱岳山荘までは行ったが
結局、登頂を断念した思い出がある

通称「アラレちゃん」と呼ばれる休憩ポイント
何でそう言われるのかは不明
ここまで来ると折立登山口までは1時間と掛からない

折立登山口へ降りた時間が11時半 太郎平小屋から5時間ほどを要した
12時半の最終バスに間に合ったのでその間に即席ラーメンを作り昼飯にした

自分で作ったのはこの時と薬師沢との2回だけ 次回からは全て小屋で弁当を作ってもらうのが良い
とにかく非常食を除いてザックの中身をできるだけ減らして軽量にすることだ
バスを15分ほど乗り写真の有峰ダムほとりで下車

左側に有峰ハウスがある 有峰ダムのほとり
今夜はここに泊まり 久しぶりにお風呂とビールをいただくことにする
山小屋では初日の体調不良を案じて一切の酒類を絶っていた 

山小屋では1畳のスペースしか与えられなかったが、ここでは8畳もいただいた
その上、専用の洗面室と水洗トイレまでという贅沢を味わった
明日はここからバスと電車を乗り継ぎ富山駅まで行き、そのあと神戸三宮までの道のりとなる

登山初日前夜の富山駅周辺で立ち寄った居酒屋
富山湾の幸を味わった
特に旨かったのは白エビの揚げとミギスという深海魚を練った素揚げ
あとホタルイカの沖漬けとマグロの昆布〆はまぁまぁだったかな


再び太郎平小屋へ

 




太郎平小屋が見えてきた
薬師沢小屋から登り返して4時間近く経っている

ここで顔を洗う
ついでに頭も洗う 
水が冷たい

太郎兵衛平に戻ってきた
2日目の朝はこの分岐から始まった
右側の木道で黒部五郎岳を目指した

4日目は雲ノ平から薬師沢経由で左側の木道を使い帰ってきた
木道が設置されている場所は高山植物保護のためだが、それはごく一部だ
山行の多くは歩きにくい岩場であったりガレ場であったりすることが圧倒的に多い


薬師沢

雲ノ平から薬師沢へ降りてきた 激坂だった
吊り橋と薬師沢小屋が見える
ここで顔を洗う 

昼食は小屋のテラスで持参した即席キーマカレーを作る
コーラ600円 やめた

黒部川だ 源流からだいぶ成長している

登山道両脇のニッコウキスゲが疲れを癒してくれる

左俣の出合いまたは薬師沢の出合いと言うそうだ
左俣とか右俣とかの名称は川を上流方向に見た時
左側にある支流を左俣といい右側を右俣と言う
もう少し上流に左俣があるので本当はそこが左俣の出合いだろう

薬師沢小屋を過ぎ 薬師沢の出合いを渡り 太郎平小屋へ向かう
谷を見下ろす 熊がいないか探してみたりする

 

雲ノ平 3 (4日目)

祖母岳から撮影
左が祖父岳 右が三俣蓮華岳 中央遠方に槍ヶ岳

左が三俣蓮華岳 右が黒部五郎岳 
中央コルに黒部五郎小舎
中央遠方に笠ヶ岳

向こうに見える稜線に2日目の山行が現れた

右端の見えていない太郎平小屋から
左端の見えていない黒部五郎小舎までを11時間掛けて稜線を歩き続けた

谷を挟んで反対側に薬師岳が見えてきた
その左コルに初日の宿泊地太郎小屋がある
手前の谷を降りて再び登り返すとこの登山は1周して太郎小屋に戻ることになる

この辺りでそろそろ雲ノ平ともお別れになる
これから薬師沢へ降りる激下りが待っている

雲ノ平 2 (4日目)


4日目の早朝
雲ノ平山荘を出てすぐ後ろを振り返ると水晶岳から朝陽が差し込む

時間的な余裕があるので祖母岳に立ち寄る 
岩場の登山道にチングルマが咲いている

アルプス庭園は祖母岳頂上付近にある
雲ノ平は至るところ池塘でいっぱいだ

右側に見える山は黒部五郎岳
中央に聳えるのは笠ヶ岳
左は三俣蓮華岳へ続く

アルプス庭園
中央遠方が水晶岳
右が祖父岳

アルプス庭園
中央が三俣蓮華岳



雲ノ平 1

どうやら漸く3段雪渓の上まで来たようだ
30分ほどで祖父岳頂上だが時間の関係で断念した
中央の向こうに雲ノ平山荘が小さく見えてきた

山荘に向かうハイマツ郡の中にはシャクナゲが咲いていた

山荘2階テラスからの夕景色
左が祖父岳 右が三俣蓮華岳 左端の頭が鷲羽岳

今朝あとにした黒部五郎小舎は三俣蓮華岳の更に右
写真では途切れて見えないコルに位置する
そこから歩いてきた


黒部源流コース(3日目)


 

三俣山荘テント場横から源流へと下り始める 45分ほどで源流へ着く
そこから向こうに見える3段雪渓の一番上までの登り返しに3時間ほど要する

ここで顔を洗う 雪解けで冷たく生き返る

ハクサンフウロ(白山風露)

登り返しの急登から見た黒部源流

谷を挟んだ反対側に今朝登頂した三俣蓮華岳が聳えている
頂上付近の穏やかさと対照的に途中から切り立った断崖だ

2023年7月28日金曜日

3県境

三俣蓮華岳頂上にある3県の三角点
富山県 岐阜県 長野県の3県がこの一点に交わる
そう言うわけで三俣という名が付いたのだろう
中央のコルに双六小屋がある その右側のなだらかなところ双六岳だろう
下に見える巻道が双六小屋と三俣山荘との近道だ
双六から左側尾根筋の延長が槍ヶ岳(長野-岐阜)へと繋がる西鎌尾根ルートになる
25年ほど前に表銀座から東鎌尾根ルートを経由して槍ヶ岳に登頂している

今回は双六岳へのルートは計画に入っていないため、次回の楽しみにしておこう
これらの尾根を超えた右側が飛騨の新穂高温泉へ降りる小池新道となる
(三俣蓮華岳から撮影)

鷲羽岳

 

高い山が鷲羽岳(日本百名山)
中央の沢が黒部源流でその左側が祖父岳となる
雲ノ平は更に左側の隠れたところにあり
周囲の高い山々に囲まれた台地のようなところにある

当初の計画では3日目の山行は鷲羽岳経由のコースをとるつもりでいた
しかしそのコースを選択すると今夜の雲ノ平山荘到着を夕方5時までとするのは困難そうに思えた

中央のコルに見えるのは三俣山荘だ あそこで早めの昼食をとり左側の沢を下る
黒部源流コースを選択し雲ノ平方面に向かうことにした 鷲羽岳はまたの機会に譲ろう


黒部五郎小舎

 

やっと小屋が目の前に現れた
到着した時はもうヘロヘロ状態だった
今朝、太郎平小屋を出発して既に11時間が経過している

この小屋はロケーションもよく、オシャレな感じがした
たくさんの人達と会話ができた
 翌朝 小屋を出発する時に後ろを振り返ると昨日登頂した黒部五郎岳と
その裾に広がるカールが朝陽を浴びていた
これから三俣蓮華岳を目指す

2023年7月27日木曜日

北ノ俣岳

 

太郎兵衛平から黒部五郎岳へのルート途中にある北ノ俣岳
登ったり降りたりの稜線歩きがずっと続く
最高に楽しい時間でもあるが同時に体力との勝負でもある
遠くに槍ヶ岳が見える
中央左が黒部五郎岳
右側が北ノ俣岳
遠くに見えるのが笠ヶ岳 新穂高方面


黒部五郎カール


大きな岩が真っ二つに割れている
落雷によるものとの説があるがそれは違うようだ

左側が鷲羽岳 右側の雲に隠れている山が明日登る三俣蓮華岳

岩と三俣蓮華岳との間のコルに
今夜泊まる黒部五郎小舎がある
体力消耗サインが点灯しだした


 

2023年7月26日水曜日

黒部五郎岳(日本百名山)

 



頂上を超えると反対のカール側はそれまでの優美な山容が消えて 荒々しい岩肌と雪渓とに変容する
しかしそれもカール底部の方へ進むに従って庭園のような静けさへと落ち着いてくる


黒部五郎岳への稜線と雷鳥

2日目の稜線歩きは最高のロケーションが続く
中央が黒部五郎岳 その向こう側に槍ヶ岳も見える
今朝山小屋を出発して既に3時間ほど歩いている
黒部五郎岳から更に3時間ほど向こう側にある山小屋が今夜の宿泊

稜線で出会った雷鳥 後ろのガスに霞んだ中腹山容は黒部五郎岳
間にある隠れているコルが中俣乗越となる
今回の山行で雷鳥に出会ったのは3回ほどだ


昭和の風景

 


登山前日に富山駅周辺で海の幸で一杯やろうと
街を彷徨いていたらなつかしい風景に出会った

2023年7月25日火曜日

黒部源流

 


中央が水晶岳 3段雪渓が見える山が祖父岳 右側が鷲羽岳側
祖父岳と鷲羽岳とから成る深い沢が黒部の源流域となる
写真の左側が雲ノ平へと続く
三俣蓮華岳から撮影

ここが黒部源流と称されるところだ 
三俣蓮華岳から下りてここで切り返す
雨が降ると渡れないがこの日は渡ることができた
これから雲ノ平を目指して祖父岳の一番上の雪渓までの急登に挑戦

チングルマ

 


どちらもチングルマの写真だ。白い花が咲いている上と、既にそれを終えて種子を形成している状態が下の写真だ。

同じ種類の植物が二つの状態で混在している。当初どう言うことなのかとわからなかったが雲ノ平のご主人がそれを説明してくれた。

それは雪解け時期に関係する 早く雪解けしたところから芽を出し白い花を咲かせる 同じ標高でもいつまでも雪が残っているところは開花が遅くなる なので僅かな地形の変化で同じ花の開花時期が夏と秋のように違ってくる。

今年は例年より雪解けが早くそれが広い範囲で一斉に起きたために花たちも感覚が狂ってしまい混乱が起きているのではないかとご主人は説明されていた。