2020年7月28日火曜日

大きな勘違い(misconception)

AIに関しての議論にいくつかの大きな勘違いがあるようだ。
テレビや新聞、週刊誌などが世界中でセンセーショナルにAIのシンギュラリティを喧伝しているために間違って解釈している人々が多いそうだ。私自身もその一人だ。

創設に関わるグループが用語の解説や捉え方の間違いをいくつか挙げている。
私自身が陥ったものを紹介する。

先ず、機械は人間をコントロールできるかという問題が最初に提起されている(人間は機械をコントロールできるかではない)。この回答はコントロール可能となっている。

上のようにアプローチの段階で既に見ているものが違う。そもそも人間が機械をコントロールする場面などはAI開発には想定されていない → その理由はあやふやな人間の判断で操られるAIなど想定していないということだ。前投稿でサピエンスが自分の頭脳から脱皮する時が来たと書いたがまさにそういう状況なのだ。

例として人が虎やライオンをコントロールする際には強さや力によってではなく人の知能によって行なわれている。それと同じように人の知能を遥かに超えたスーパーインテリジェンスを劣った人間側がコントロールすることなど想定されていない。(本末転倒)寧ろその防御方法に関心が向かっていると考えるべきだろう。

次にそのような世界が訪れた時に我々人間にとって本当にユートピアとなりえるか、はたまたディストピアなのかの問題になるが、その議論は果てしなく続くだろう。ここでは彼らが描いているユートピアがどんなものであるのかを紹介するに留める。

そのユートピア感は日本人には少し発想しにくいアイデアかもしれない。その内容は現在、人が行なっているほとんどの作業(経済活動、物事の判断、調査研究などなど)をAIが行い、人はそれによって得られた時間と富を消費しながら暮らすというものだ。ちょうど欧州の貴族がそうであったように人としてやりたいことに人生を費やしたいということだろう。船も羅針盤も行き先さえも全てAIが決める。

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