2010年4月2日金曜日

小笠原

小笠原に最初に行ったのはどのくらい前のことだろう。今でも船でしか行くしか方法がない。片道26時間くらいの所要だ。竹芝から5日おきに就航している。つまり最短期間は着いた日の三日後に同じ船に乗船するということになる。





中の3日間を船に滞在する事もできるが、私は父島の民宿を利用した。寝る間を惜しんで動き回った。夜になると浜辺にあるバーで飲み、ほろ酔いで砂浜をほっつき歩き、珊瑚と芝生が入り混じったところでしばらくの間寝た。そしてまた起きてバーに戻る。当時はアメリカ村という雰囲気をまだ残していた。昼間は父島周辺のボートダイビングだ。

二度目に行った時はひと月ほど滞在した。勤めていた建築事務所を退社した時だったのでその時間がとれた。それまでの夢であった聟島列島(通称=ケータ)でのスクーバダイビングを実現させるためだった。嫁島のマグロ穴を始めケータは憧れていたとおりの秘境だった。水彩画の2枚は一緒に行った人が描いたものです。パリの美術学校でデザインを学んだ彼女からは絵のこと以外にも多くを教えてもらったような気がします。

私たちに宿を提供してくれた小笠原の仲間たちは皆気さくで親切だった。最初の時に行ったバーとは異なるが、皆と一緒に酒も呑んだ。興が高じてきた時にキャロルキングの”You've got a friend"を大合唱した。月がきれいな晩は浜でタマナの木を叩いて酒を交わす。月明かりだけの海に服を着たままいっしょに泳ぎだした。皆どうしておられるだろうか。


釣浜はシュノーケリングに最適の場所だった。浜の入り口には防空壕があって、そこには太平洋戦争で使った機関銃が射手がいなくなっただけの状態でまだ残されている。小さな入り江になった浜で海底の美しさに、うっかりすると左右の岬を結ぶ線を超えてしまいそうになる。実際私たちは超えてしまった。川の流れのような恐ろしい潮流に巻き込まれる。

幸いにして岬近くの岩場まで3メートルくらいの場所だったのでそこへ辛うじて辿り着いた。僅か3メートルの距離なのに大海に放り出される覚悟をしたほどの潮流だった。フィンをつけていなければ恐らく辿り着けなかっただろう。

余談になりますが、ケータへのダイブはできましたが、まだ聟になることに飛び込んだことはありません。

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