2021年5月8日土曜日

網の目

 大脳の神経細胞は網のようにネットワークで繋がっている。

脳内の神経細胞は街を形成する道路網のように、または大都市を形成するそれのように またはそれら全てを関連づけた世界中の都市を結ぶネットワークのように張り巡らされている。

道路には方向を転換する交差点がある。その交差点で選ぶ進路によって向かう目的地が違ってくる。道路の交差点は網の目のようにネットワークになっている。網の目の一マスは菱形をしていて結び目が各々4箇所ある。その4点がそれぞれ交差点にあたる。脳内でこの結び目を繋ぐ役目をするのがシナプスという物質だ。結び目でシナプスが放出されることで、ある結び目と離れた場所にある結び目とが繋がり、次第に対象物が脳内に浮かび上がる仕組みになっている。(因みに脳内神経細胞をニューロンと呼ぶ)

網の結び目(交差点)で進路を選ぶと書いたが、脳内である対象物が認識される前の段階ではそこに意思は存在しない。人が最初に何かのヒント(色、形、匂い、音、熱、生物、芸術など)に触れた時、ある箇所の網目の結び目が点灯し、次々と関連する結び目が点灯していく。点灯し合った箇所は近い場合もあれば遠い場合もある。関連する結び目が点灯するのには個人差がある。経験や体験によっても違ってくる。目的地も違ってくる。

そしてそれらの点灯した結び目のいくつかが脳内で統合されて、例えば見ていない先から匂いだけで、もしかしてこれは「うな重」じゃないかなと推測が始まる。この段階で初めて知覚と呼べるものが生まれる。その前の段階では脳内ではただコンピュータのアルゴリズムのように結び目の点灯がONなのかOFFなのかの確認作業がなされているだけである。

生物にとっては網目の領域は広ければ広いほど良い。正しく関連づけられた結び目の点灯が正確であればあるほど良い。ただ人の脳は間違いを起こし易い。例えば人間社会でいう左寄りの考えを持つ人は左寄りの網目の結び目が点灯しやすい。右寄りの考え方をする人も同様だ。情報が脳内で処理される過程で偏りが生じてしまう。或いは点灯の欠落があるのかもしれない。或いは誤った情報によって誤作動が起きているのかもしれない。

またある種の人間に備わる特別なもの、例えば「気品」などの概念がそうだ。これは持って生まれる概念ではなく、生きていく過程でそのようなことに関連する結び目が点灯するように生きてきたかどうかの表れになるだろう。

どの道イチロー選手のようにはなれないから野球はやらない、ギドン・クレメールのように上手く弾けないからバイオリンの稽古はしないではその人にとって結び目が点灯する数は段々と少なくなっていくだろう。上手であるかどうかはそれほど問題ではなく、如何に結び目の数を増やし、その点灯が的確であったかどうかを蓄積しながら生きることで幅が広がり脳を成長させることに繋がるのではないだろうか。

生物の長い時間をかけた淘汰が最後に人間を創り出した。淘汰は挑戦と失敗の歴史である。木の上で生活していた猿が草原生活への挑戦を試みたのが脳の飛躍の始まりだった。そこから結び目の数と点灯が拡大し続けたのだろう。

映画「タイタニック」のコンピュータ映像を担当したデジタルドメインの若い社長がインタヴューの最後に今後の抱負は?と聞かれて一瞬返答に窮し咄嗟に社内にある社訓を引用していた。Fear is not your options  挑戦を恐れることはあなたの選択肢にない。

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